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71件の議事録が該当しました。

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2015-06-16 第189回国会 参議院 環境委員会 第8号

苛性ソーダ塩素を生成する化学工業界、これも同様に、水俣での水銀汚染問題を受けて、一九七三年四月に旧通産省ソーダ業界に非水銀法、水銀によらない方法への転換を要請されました。一九八六年に全てイオン交換膜法転換をされましたが、それまでは水銀を大量に使用してきたという企業はいっぱいあります。  

市田忠義

1991-04-09 第120回国会 参議院 大蔵委員会 第8号

それから、苛性ソーダ水銀法から隔膜法転換するとか、そういうことに非常に融資がかさばった時期がございまして、昭和五十年で申しますと二千億ぐらい、当時の融資規模の二五、六%まで公害防止融資であったわけですけれども、その後公害規制が着実に効果を上げてまいりまして、また企業の側の設備投資も無公害型という形に徐々に進んできまして、公害防止からむしろ公害の予防の方へ融資の重点が移ってきております。  

高橋元

1985-03-08 第102回国会 衆議院 予算委員会第六分科会 第2号

ただ、従来から課題になっております水銀法からの転換がまだ完全に済んでおりませんで、実は従来は昨年末までにすべて終わるということでございましたが、どうも雇用状況その他経営状況を考えますと、昨年末までに完全に終わるというのは無理な企業がかなり出てきてまいっておりますので、そういう企業の実情を考えまして、昨年十二月に政府水銀等汚染対策会議におきまして、六十一年の半ばまでに水銀法からイオン交換膜法にかわるという

野々内隆

1984-07-03 第101回国会 衆議院 大蔵委員会 第28号

例えば苛性ソーダのいわゆる水銀法からイオン交換膜への転換も、これはもともと膜の開発については政府研究開発を援助するという仕組みでやってきて、今日ではもう既に水銀法より以上に、コストの点でも品質の点でも上回るものができるようになった。これは大変短い期間に進歩したわけですね。  そういう点では、四十六年のことですから、それから既に十数年を経ているわけですね。

水田稔

1982-03-08 第96回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第4号

それから第三点のソーダ製法転換の問題でございますが、先生御承知のように、現在ソーダ水銀法転換を進めておるわけでございまして、すでに四百五十万トンの能力のうち三百万トンくらいは転換いたしております。残り百五十万トンが今後二年間に新しいイオン交換膜法転換してまいる、こういう局面になっております。  私ども昨年の暮れにもソーダ転換問題について関連政府部内での会議をいたしました。

真野温

1980-03-25 第91回国会 衆議院 運輸委員会 第5号

水俣病に端を発したあの原因によりまして——苛性ソーダ製法いろいろございますが、苛性ソーダ製法の中で水銀法あるいは今後これを、開発しょうとしておりますイオン交換樹脂膜法等転換していこう、こういう努力をしておられます。この問題は後回しにしますけれども、現在水銀法苛性ソーダを製造しております工場は何工場あるか。数字だけで結構です。

薮仲義彦

1980-01-31 第91回国会 衆議院 物価問題等に関する特別委員会 第3号

十年たちまして、ようやく道内の需要がだんだん伸びてまいりまして、わずかながら黒字を計上することになり、四十六年には、二百トンでスタートした会社幌別で五千七百七十四トン、これは水銀法による苛性の生産並びに販売ができるようになり、一応安定した形はとれたのでございますが、例の四十八年の石油ショックと四十八年六月に国の方針として決められました水銀法廃止、隔膜法転換の御方針、これと相まちまして日本軽金属

山下謙治

1978-04-25 第84回国会 参議院 商工委員会 第10号

残りの三分の一は水銀法による設備ということでございます。実は、その水銀法設備が残っております最大の理由は、水銀法による品質のいい苛性ソーダでないと使い物にならない需要分野が存在するためでございます。そこで両方ひっくるめて考えてみますと、水銀法の方の設備をもしここでスクラップいたしますと、どうしてもそれでなければ役に立たない需要分断に対して供給ができなくなるわけです。

児玉幸治

1978-04-20 第84回国会 参議院 商工委員会 第9号

他方、塩素でございますけれども塩素は御承知のとおり塩水を電気分解してつくるものでございますが、これは昭和四十八年以前におきましては水銀法による苛性ソーダ製造法によって、そこから出てきたものでございます。ところが四十八年十一月に、水銀等汚染対策推進会議決定によりまして苛性ソーダ製法転換というような問題が起こりました。

天谷直弘

1978-04-18 第84回国会 衆議院 大蔵委員会 第25号

たとえば四十八年に、社会的な背景をもとにして水銀法から隔膜法に行政的に転換命令を下して転換をさせた。それに従ったのがおおむね三分の二でしょうか、六〇%強のものがそれに従った。しかしあと三分の一のものは、従来の水銀法クローズドシステムを確立しながら、公害を出さないようにして継続して生産を行っている。そういう中で、隔膜法転換した方の製品品質が非常に悪い、そしてコスト高になっている。

永原稔

1978-03-17 第84回国会 衆議院 大蔵委員会 第14号

水銀法から隔膜法への転換、こういうような全面的な転換という指示が出たのは、世界あるいは日本産業史上も例を見ないようなことであったと思います。もちろん行政指導ですから法律で決めたのではない、強制ではないというようなお話は出てまいりますけれども、そういう中で十二省庁が関連する仕事でございます。通産省が窓口にはなっておりますけれども。そういう中で転換が行われた。

永原稔

1978-02-21 第84回国会 衆議院 内閣委員会 第5号

戦後になりましてから、水銀法電解というものが次第に普及をしてきたわけでございますけれども、これは水銀法によります製造技術というものが、公害の問題は別といたしますと、そのでき上がってまいります苛性ソーダにしても、あるいは塩素にいたしましても、非常に品質が優秀である。かつ、製造コスト隔膜法等に比べて割り安であるというようなことから普及したものでございます。  

児玉幸治

1978-02-21 第84回国会 衆議院 内閣委員会 第5号

児玉説明員 水銀法電解ソーダ設備輸出の問題につきましては、四十八年十一月の決定以後、国会におきましてもいろいろ議論がございました。私どもの方は、昭和四十九年の六月でございますけれども基礎産業局から通達を出しまして、自今、水銀法電解ソーダ設備輸出につきましては原則としてこれを認めないという方針をとっております。

児玉幸治

1978-02-17 第84回国会 衆議院 大蔵委員会 第6号

あるいは御案内のように、公害関連企業でありますから、かつて苛性ソーダについては、水銀法隔膜法ということが行政指導でやられました。これは御案内のとおりです。いま硫酸法から塩素法へという大変な投資を要するような新しい製法の論議も起こっておる。アルミで論議されましたコストの問題、あるいは借金、金利の問題、それから市場価格の問題、あるいは寡占の問題、戦略効用の問題、ひとりアルミだけじゃありません。

荒木宏

1978-02-16 第84回国会 衆議院 予算委員会 第14号

永原委員 柴村羊五さん、こういうような方々の御本を見ますと、やはりイオン交換膜法品質的には水銀法と変わらないような良質のものができる、しかし隔膜法では品質が非常に悪いので、それを濃縮するためにさらに重油もたいてスチームでやらなければならないというような指摘もございまして、順位からすると、水銀法イオン交換膜法、それから隔膜法、そういうような順序で能率的にあるいは効率的になっているのだということが

永原稔

1977-11-01 第82回国会 衆議院 公害対策並びに環境保全特別委員会 第6号

○山本(政)委員 時間がないそうですから、残念ですが、私は終わりますが、長官、つまりいまの水銀法のことについて通産省がタイムアローアンスの計算間違いをしたというなら、これは大変な問題なんですよ。そういうことだったらば、要するに当該局長の首が吹っ飛んだっていいくらいだと私は思いますよ。アセスメント法案というものに対して、通産、建設の方と、そうして環境庁の間に対立があった。

山本政弘

1977-11-01 第82回国会 衆議院 公害対策並びに環境保全特別委員会 第6号

この点、私は余り詳しく知りませんが、水銀法から隔膜法あるいはイオン交換膜法というのですか、そういうふうに転換をするということが四十八年の十一月の推進会議で決められて、五十二年度末までには全面転換すべきだというふうにそのときに話があったと、こう思うのですが、いま転換済み企業というのは六〇%ぐらいあると聞いております。残りがまだ未転換

山本政弘

1977-10-27 第82回国会 参議院 商工委員会 第2号

政府委員天谷直弘君) 昭和四十八年の十一月に環境庁にありますところの水銀等汚染対策推進会議におきまして、苛性ソーダ製法水銀法から隔膜法への全面転換計画行政指導方針決定をされたわけでございまして、それに基づきまして、以後製法転換を進めてまいり、第一期におきましては約六割の転換が行われたわけでございます。  

天谷直弘

1977-10-27 第82回国会 参議院 商工委員会 第2号

政府委員天谷直弘君) 計画ベースで申し上げますと、隔膜法生産能力は、昭和四十八年末におきましては十七万八千トンでございまして、水銀法生産能力は三百六十六万トン、合わせまして三百八十三万八千トンの生産能力がございまして、五十年九月末には隔膜法生産能力を三百五万一千トン、それから水銀法生産能力を百六十七万四千トン、合わせて四百七十二万五千トンにするという計画でございまして、これを実行ベース

天谷直弘

1977-06-08 第80回国会 衆議院 商工委員会 第27号

天谷政府委員 隔膜法稼働率を高くして水銀法稼働率の方を低くすることによって調整できないかという御趣旨かと存じますが、そういうやり方というのは全くできないことはないと思いますが、ただ、それをやや大幅にやろうといたしますと、すべてユーザーがついているわけでございまして、たとえばその水銀法工場の周りには塩素ユーザーというものがございます。塩素は遠距離に運搬することは困難でございます。

天谷直弘

1977-05-26 第80回国会 衆議院 公害対策並びに環境保全特別委員会 第16号

三番目に、「諸外国(特に台湾、韓国)では、水銀法ソーダ主勢となっており、ソーダ塩化物輸入等国際競争力の低下に伴う問題が生ずる恐れがある。また世界最大のか性ソーダシェアを有するダウ・ケミカル社が、巨大な資本力背景として超大型プラント建設計画を発表し、日本市場の制覇を目ざしている。業界企業とも、これらの背景からソーダ工業維持に汲々たる状況にある。」こういう形で述べておるわけであります。

上田卓三